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医療が複雑・高度化する他職共同時代の組織マネジメント

地方独立行政法人 新小山市民病院 理事長

島田 和幸先生

抄録

新小山市民病院は、人口約17万人の小山市近郊における唯一の総合病院である。病床数300、職員数620で、ハイケアユニット、7:1一般急性期病棟および地域包括ケア病棟で構成されている。5年前にそれまでの赤字体質から脱却することを目指して、経営形態を市立病院から地方独立行政法人に変更して再出発し、2年前には新病院を建築し移転した。

果たして、地方独立行政法人第1期の中期計画4年間(2013-2016年)の経常収支は、最終年度の新築移転後の費用増加にも関わらず、黒字を計上した。主たる理由はまず、職員に「もはや市には頼れない、自分たちで稼ぎ出さねばならない」という意識変革が生じて頑張ったことがある。そして、自由な病院運営が可能になり、医師を含む職員を大幅に増員したり、それまでにできていなかった、地域中核急性期総合病院としての"標準装備"ともいうべき各種施設基準など(7:1入院基本料、DPC病院、地域医療支援病院、病院機能評価受審、電子カルテの導入など)を急速に整備することができたことも大きい。

病院機能が高度になれば、そのレベルで克服すべき新たな「組織の課題」が浮上してくる。職員間のコミュニケーションができず個々がバラバラである。部署間・職種間に「壁」があって互いの協働ができない。上司―部下関係で自由なやりとりが封じ込められる。これらは、もともと病院が陥りやすい「落とし穴」である。何故なら、病院は、国家資格を持つ「職人」の集団である。「職人気質」は、その職責を果たす「プロ意識」を有していても、組織人としての訓練はほとんどなされていない。医療が複雑化、高度化すればするほど、「組織マネジメント」の役割がどんどん大きくなってくる。知識・技術力のみならず、コミュニケーション能力や分析・課題解決能力を養わねばならない。このような課題の解決なくして、次の段階の病院に達することは難しいと思われた。医療をめぐる状況が変化し、どんな時代になっても乗り切っていける病院になるためには、この「組織風土」の変革が必須であるという思いであった。

そこに㈱コーチ・エイが提供する「システミック・コーチング」との出会いがあった。コーチングは、コーチ役とそれを受ける側(ステークホルダー(SH)と呼ぶ)が定期的に対話を重ねることにより、SH自身の組織人としての自己変革と成長を促しながら、SHの自ら設定した目標の達成を支援する、という手法である。相手との信頼関係を築くこと、相手の話をさえぎらずに注意深く聞くこと、その上で相手に話しかけ質問することによって、相手の考えが整理され、新たな視点に気づいてもらう。そのような双方向対話が職員間に根付けば、組織や病院を良くするために自分の責任において考え行動を起こす、"アカウンタブル"な「組織風土」が醸成されていくことが期待される。本院では、院長以下、副院長、看護部長、事務部長、薬剤科長がクラスに参加してコーチングの理論や技法を学んだ。それを実践するために(フィールドワーク)、まず院長が彼らをSHとし、また幹部職員自身が数人の中堅管理職をSHとしてコーチングするシステミック・コーチングを実践した。その中で職員自身ひいては病院全体の変革が次々に引き起こされることを目指した。

本セッションでは、我々の1年間のコーチングプロジェクトの経験を通して、我々が何を学び、どのように変わり、今後どのような展望を持っているか紹介したい。

第68回 日本病院学会
ランチョンセミナー27 より
日時:2018年6月29日(土)
会場:第13会場 ホテル金沢4F エメラルドB

プロフィール

島田 和幸先生

地方独立行政法人 新小山市民病院
理事長・病院長

島田 和幸 先生

専門領域

高血圧、心臓病、脳卒中

賞歴

  • 第8回日本心臓財団研究奨励賞受賞(1982年)
  • 日本高血圧学会 栄誉賞(2012年)
  • Lifetime Achievement of Award, The Pulse of Asia 2014

略歴

1973年
東京大学医学部卒業
1975年
東大第三内科入局(循環器研究室に所属)
1978年
米国タフツ大学,New England Medical Center(ボストン)のリサーチフェロー
1981年
高知医科大学老年病科講師
1991年
自治医科大学循環器内科教授
1997年
自治医科大学附属病院副病院長
2001年
自治医科大学内科学講座主任教授
2006年
自治医科大学附属病院 病院長
2010年
日本高血圧学会 理事長
2012年
小山市民病院 病院長
2013年
地方独立行政法人 新小山市民病院 理事長・病院長
自治医科大学名誉教授

現在に至る