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WEEKLY COACH 特別インタビュー

サッカーワールドカップ直前特別インタビュー 「日々成長するために、勝利を目指し続けるのがプロ」 逆境や苦境に逃げずに立ち向かい続けた、僕のサッカー人生

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スポーツとビジネス。その2つに共通するものの一つに、「勝利に向かってチームを引っ張るリーダーシップ」の重要性が挙げられます。

今回は、Jリーグの看板選手として4チームを渡り歩き、サッカー日本代表選手としては、あの「ドーハの悲劇」を経験。現在も指導者や解説者として日本サッカーに貢献し続ける三浦泰年氏と、コーチ・トゥエンティワン取締役社長の桜井一紀による「リーダーシップ対談」が実現しました。

数々の逆境や苦境にも常に逃げずに立ち向かい、どんな状況におかれても、リーダーシップを発揮し続けてきた三浦氏。今回のインタビューでは、そんな三浦氏の学生時代・現役時代・今後についてお話を伺いながら、三浦氏の持つ「リーダーシップ」のあり方に迫っていきます。

三浦 泰年 氏
三浦 泰年 氏

元サッカー日本代表
サッカー解説者

1980年代から、日本リーグ(読売クラブ)およびJリーグ(清水エスパルス~ヴェルディ川崎~アビスパ福岡~ヴィッセル神戸)で主力プレーヤーとして活躍。実弟・三浦知良(カズ)選手と共に兄弟で日本サッカー界の人気を支えた。現役引退後は、Jリーグ ヴィッセル神戸のゼネラルマネジャーを務めたのち、静岡FCのテクニカルアドバイザー(総監督)、また自らが持つクラブチーム「FCトッカーノ」での指導など、後進の育成のために現場を奔走している。

現役を退き、サッカーの普及に努める毎日

桜井 わざわざ弊社までお越しいただき、ありがとうございます。お会いするのは前回のお食事に続いて、2回目ですね。今日は、元サッカー日本代表で、Jリーグの看板選手だった泰年さんに、少年時代や現役時代、現在の取り組みなどのお話を通じて、ご自身が発揮してこられたリーダーシップについて語っていただきたいと思います。よろしくお願いします。

三浦 こちらこそ、よろしくお願いします!

桜井 早速ですが、現在泰年さんは、現役を離れて指導者の道に進まれているんですよね。

三浦 38歳で現役を引退し、Jリーグ ヴィッセル神戸のゼネラルマネジャーを務めました。その後、社会人チームのテクニカルアドバイザー(総監督)を務め、現在は、解説者や、自身で設立したクラブチーム「FCトッカーノ」で、15歳以下の少年の育成に力を入れています。

桜井 子どもたちにはどのように指導しているのですか?

三浦 僕が現役の頃は、自分も含め、とにかく「熱い」選手が多かった。ラモス選手とかストイコビッチ選手とか、試合中でもガンガン気持ちを表面に出してプレーしていましたから。実際、そういう選手の方が、周囲からの評価も高かったような気がします。

でも、今指導をしている子どもたちは、内に闘志を秘めている子が結構多いんですよ。僕なんかは、自分が表に出すタイプだから外に出さないタイプの子を見ると、最初は「ヤル気あるのか?」とか思っていました。でも最近では、その内に秘めたものにこちら側が気づいてあげたり、気持ちが外に表れるまで待ってあげたりすることこそ、指導者のあるべき姿だと考えるようになってきています。指導者として子どもと接していると、たとえクールに見える子でも、実際には、熱く見える子以上に気持ちのこもったプレーを連発する、ということが結構あるんですよね。

桜井 なるほど。選手の個性に合わせた指導を心がけていらっしゃるんですね。ちなみに、ご自身は現役時代、なぜ気持ちを前面に出すプレースタイルを貫いていたのですか?

三浦 「とにかく相手に負けたくない」という気持ちから、自然と熱くなっちゃうんですよね。最近の日本代表の試合とかを見ていても、選手の気持ちが入っていないプレーを見ると、「それなら、俺を使ってくれよ。ハートなら今でも負けないよ!」と思ってしまうほどですから。

僕の場合は、身体的に恵まれていなかったし、センスもそこまで飛びぬけてはいなかった。だから、勝つために毎日必死に考えましたよ。「短い距離を走るのが遅いのなら、長く速く走ろう」とか、「毎日の練習、毎回のゲームをとにかく手を抜かず全力でやろう」とか。

今も子どもたちにはこう言っているんです。「常に集中して練習や試合に臨むんだ。君たちより上手い子がずっと集中してたら、絶対に勝てない。けど、上手い子というのは時に集中力がふっと切れたりする。だから、君たちは絶対に集中を切らさずに、常に全力でプレーしよう」とね。少なくとも、僕は約20年間、ずっとそうやってプレーしてきたからこそ、プロになるくらいまで成長することができた。だから、その経験を子どもたちに伝えていきたいんです。

現役を退き、サッカーの普及に努める毎日

桜井 サッカー選手になろうと思ったのはいつ頃からですか?

三浦 小学生の頃にはもう決めていましたね。当時は、まだJリーグもない時代でしたけど、「俺にはサッカーしかない」と思って、日々練習に明け暮れていました。もちろん、スポーツでも趣味でも、没頭しようと思えば他にもやることはたくさんありましたよ。でも、僕はそこで覚悟を決めて、サッカーだけを選んだんです。それがここまでのキャリアを築くことができた原点になっているのかな、と思いますね。

桜井 小学生で覚悟を決めるなんて、すごい!

三浦 当然、中学校、高校と進んでいくことで、サッカー以外にも、勉強のこととか人間関係のこととか、考えることや悩みも増えました。でも、僕は、「サッカーだけは人に負けない」という気持ちが支えとしてあったから、他のことがダメでも胸を張っていられたんです。「俺にはこれしかないんだ。でもサッカーで大きくなってやる」と。今思えば、それだけ好きだったんでしょうね。

桜井 三浦少年をそこまで熱くさせるサッカーの魅力って何ですか?

三浦 今の世の中にも当てはまりますが、サッカーって100点満点がないスポーツなんですよ。だから常に勝利のため、成長のために考え続けなきゃいけないんですね。

少年時代、叔父(納谷義郎氏)にサッカーを教わっていたのですが、とにかく叔父は理不尽でした(笑)。ドリブルでみんなを抜いてシュートを決めれば、「それでいつもうまくいくと思うな」と言われ、「それなら!」と今度はパスを回すと、「おまえはこんなやつらも抜けないのか!?」と怒られてしまう。正直、どうしたらいいか分からないですよね。でも、少しでも成長できるのなら、とその都度自分で考え、一つひとつのアドバイスを素直に受け入れた。こうした100 点満点のない部分が、僕にはとても魅力的だったんですね。

子どもたちの中には、すぐに正しい答えを求める子もいますけど、勝つため、成長するために、自分で真剣に考える楽しさも伝えていきたい、と思っています。

桜井 その後、サッカー熱は冷めることなく、高校卒業後は2年間、ブラジル留学に旅立つわけですね。

三浦 ブラジルには最初カズが行って、僕は後から海を渡りました。大学からのオファーももらっていたんですけど、どうしても海外に行って自分の力を試してみたかった。南米に対する憧れもありましたしね。もちろん、成功する保証はどこにもありませんでしたが、自分の成長のためにも、逃げずに頑張ろうという気持ちで海を渡りました。

桜井 実際、ブラジルではどんな影響を受けましたか?

三浦 人生の中で、もっとも辛い時期でしたね。留学当初は、「それまでの俺って、何だったんだろう?」と思うくらい、レベルの差を感じてショックを受けました。ハンマーで後頭部を「ガチーン」と殴られたような感じです。

言葉、文化、生活などすべてが異なる環境に加え、グラウンドに入れば、プレッシャーからか、日本ではあり得なかったような初歩的なミスを連発してしまう。また、詳しい意味は分からなかったものの、「■◇◎●、ジャポネーズ!」なんて、明らかに僕をバカにしたような言葉もたくさん浴びせられた。悔しかったですし、正直、このときばかりは早く日本に帰りたかったですよ。

桜井 でも帰らなかった?

三浦 逃げ出したくなかったんです、目の前のことから。だからバカにした奴には、意味はよく分からなくても負けずに向かっていきましたし、結局公式戦は一試合も出してもらえなかったんですけど、それでも2年間は異国の地で頑張り抜きました。

記録として誇れるものはありませんが、自らの力で逆境を乗り越えていく経験を積んだことで、その後はどんなことがあっても、人のせいにすることはなくなりましたね。「試合に出られないのは、監督が悪いんじゃなく、俺に何かがまだ足りないんだ!」「あの頃に比べたら、このくらいの逆境が何だ!」と思えるようになりましたから。

ブーイングの嵐を受けても、観客席に向かうのが逃げないリーダー

桜井 その後日本に戻り、日本リーグ、Jリーグで活躍されるわけですね。清水エスパルスではキャプテンを務め、アビスパ福岡では精神的支柱として選手を引っ張っています。そんな泰年さんにとってのリーダーシップやキャプテンシーについて教えてもらえますか?

三浦 はい。まず、前提としては、フィールドに出て、チームを引っ張る存在であるということですね。監督は、あくまでもモチベーターになるだけで、実際に戦うのは選手です。その選手たちの中でリーダーシップを発揮していくわけですから、当然実力でレギュラーを勝ち取り、試合に出ることが最低条件だと僕は考えていました。

そして、ひとたびフィールドに出たら、「いつだって、目の前で起こったことから逃げない」ということを意識していました。

桜井 「目の前で起こったことから逃げない」ですか?

三浦 そうです。「シュートを外す」、「点を決められる」など、試合中は下を向いたり、目を覆いたくなったりするような場面が度々訪れます。もちろん、その瞬間は悔しいですよ。でも、僕はその悔しさから逃げるのではなく、いつだって「やられたら、やり返すんだ!」というメンタリティーで戦っていました。日本人はあまりこういう考え方が得意ではないかもしれませんけどね。

桜井 いや。その考え方に大いに共感しますよ。実際、学生時代にやっていたラグビーでは、私もやられたら先頭に立ってやり返しに行くようなタイプでしたから。被害者意識に閉じこもるのではなく、主体的に自ら動いて現状を変えていく。コーチングの世界でいう「アカウンタビリティ」ですね。

三浦 なるほど。そういう考えがあるんですね。まあ、僕の場合は、ラフプレーがきっかけであわや乱闘になってしまうような場面でも、選手の仲裁に入るどころか、「俺がやるから、お前らどいてろ!」みたいなことまでやってましたけどね(笑)。でも、「逃げない」という意味では今でも忘れられないシーンがありますよ。

桜井 それはどんなシーンですか?

三浦 アビスパ福岡というチームに所属していたころなんですが、そのときは負けが続いていて、試合後、スタンドのサポーターからものすごいブーイングを受けたことがあったんです。そんなとき、通常、選手の心理としては、「僕らだって本当は負けたくないし、一生懸命やっているよ。でも、しょうがないじゃないか…」と被害者的に思うわけです。だから、多くの選手は、本当は応援のお礼をしなきゃいけないのに、ブーイングに耐え切れず、サポーターに背を向けてしまう。

でも、僕はそのとき、一人でサポーターの陣取るスタンドに向かい、選手たちに対してこう叫んだんです。
「おまえらも、一緒に来い!」と。

今でこそ規制が厳しくなりましたが、当時は感情的なあまり、選手に対してペットボトルを投げつけるようなサポーターもいたくらいですから、危険といえば危険な行為ですよね。しかも、目の前で受けるブーイングは、何より胸に突き刺さる。それでも、僕は行きました。サポーターまでの距離が徐々に縮まり、1メートルくらいまで迫ってから、ユニフォームのエンブレムをギュッと握って、サポーターと目の前で向き合った。そして、次の試合の勝利を誓ったんです。

そこまでした選手に対して、ペットボトルを投げつけてくるサポーターはさすがにいませんでしたね。逆境や苦境は多かったけど、そこから逃げずに立ち向かい続けた僕のサッカー人生においても印象的なシーンでした。

ただ勝つだけじゃだめ。成長のために勝利を目指す

桜井 泰年さんは今後のビジョンをどのように描いているんですか?

三浦 僕はいずれ、日本を代表する指導者になりたいと思っています。そのため、指導者の最高位ライセンスであるS級を取得し、今は15歳以下の少年たちの育成を中心に取り組んでいます。ただし、僕の場合は、少年たちにただ勝てばいいという指導は絶対にしません。「成長するために、勝利を目指し続ける」。こうした選手の育成こそが理想です。実際に、自分がこれまでお世話になった指導者の方々もみんなそうでした。僕に勝つことだけを求めていたのではなく、僕の成長のために、勝利という目標を与えてくれていたように思います。

こうした指導法を確立させるためには、システムや戦術的な指導だけでは十分ではありません。信頼関係を築くことによって、選手たちの心をつかむような関わり方をしたり、御社の専門でもあるコーチングのように、選手に考えさせるような関わり方をしたりと、目下いろいろと挑戦中ですよ。

桜井 では最後に、泰年さんにとって、これまででもっともうれしかった瞬間を教えてください。

三浦 やっぱり選手時代、試合に勝ったときかな~。何してもいいわけじゃないけど、少年サッカーと違って、やっぱりプロは勝たなきゃ意味がないんですよ。だから、それまでの努力が勝利で締めくくることができたときが一番うれしかったですね。特に、タイトルがかかったような試合であればあるほど、その緊張感からの解放といったらなかったですよ。

もし監督としてJリーグに戻って、そこで勝利を味わうとしたら、どんな気持ちなんでしょうかね。もしかしたら、選手時代以上の喜びがそこにはあるのかもしれませんね。早く味わってみたいです!

桜井 ぜひ日本を代表する指導者を目指して頑張ってください!
応援しています。

三浦 ありがとうございます。頑張ります!

構成・編集:コーチ・トゥエンティワン 花木 裕介

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